think-twice日記

日々の記録

『火星に住むつもりかい?』を読んで考えたこと

伊坂幸太郎の『火星に住むつもりかい?』を読んだ。

 

 

 

 

 あくまでもフィクションであり、現実には起こらないであろう、と思えればよいのだが、そうは割り切れない読後感を与える作品。伊坂幸太郎の作品としては、ゴールデンスランバー、モダンタイムズ、オーデュボンの祈りの系統に分類されると思う。

「指導者が国民を一つにまとめるのに必要なのは、わかりやすい敵を見つけること」

「人間を統率する効果的なやり方は誰かをこっぴどく痛めつけて、他の人間を委縮させること。・・ああはなりたくない、と怖がらせるのがてっとり早い」

 との会話が出てくるが、この物語では、「平和警察」がまさにそれを実践している。

 平和警察は、危険人物だと疑われる人物を調査し、その罪を自白させ、処刑する権限を有する警察組織であり、一般人からの情報提供(密告)により危険人物の疑いのある人物があぶりだし、その容疑者を平和警察が取り調べる。

 

 平和警察の取り調べとは、基本的に、「危険人物だと疑われた人物」に自白させることにあり、そのためには手段を選ばない。つまり、拷問により真実とは関係なく自白させることにあり、取り調べの担当官は、本質的に嗜虐趣味のある者から選ばれるとの徹底ぶり。

「首を刎ねてから、実は、犯人じゃありませんでした、となったら面倒だが」

・・

平和警察の仕事には、「冤罪」はありえないのだ。首を刎ねられた者は、その、刎ねられた事実こそが、危険人物の証拠となる。

 との会話にあるように、基本的には疑われたら最後で、冤罪でも拷問により必ず自白させられ、最終的には処刑される。その処刑の方法は、公衆の面前での斬首(ギロチン)であり、それを見学しに一般人が広場に集まる。

 

このように、なかなか読んでいて重苦しくなる物語ではあるが、さすが井坂幸太郎の小説であり、様々な伏線が物語の随所に張り巡らされ、最後にすべてつながるとこは圧巻である。

 

話の最後も、逆転劇があり、人によってはスッキリすると感じのかもしれないが、私としては、その後の展開は決して楽観的ではなく、末恐ろしい未来が繰り返される可能性を感じた。人は権限を手にすることで変わるものであり、その後、同様の過ちを繰り返すことは否定できない。

 

現代社会でも、「冤罪」は一定の割合であるであろうし、ましてや国家による意図的な冤罪もあることは、佐藤優の『国家の罠』を読むとよくわかる。